はなこの暮らし工房

ガーデニング、絵手紙、絵遊び、昔は料理が趣味だった主婦の日常生活

被災地に花を 

20170313花植え

2011.3.11 東日本大震災以後今年で6回目になる
被災地宮城県・山元町の花壇へ町田市法人会の被災地復興支援事業に参加して来ました。
(バス一台40名)

この事業に参加する人も大体毎年決まってきているので、手際もよくなって花植え作業が
進められるようになり、私たちも年に一度の再会ですが顔見知りになり一体感が出てきました。
(もしこの一行の最中に災害に出会っても、このバスに乗っている人たちは協力してきっと
難を切り抜けられるというような連帯感です。)

被災地も見渡す限りでは年を追うごとに復興が進んで町の風景も新しいものへと
変わってきて、人々の顔にも元気が見られるようになって来たように見えましたが
本当のところは、心の復興が中々出来ていないとの山元町の語りべさんのお話もありました。
「災害があった日を忘れる日は無く、語らない日も無く、思い出さない日も無い。」との
重い言葉に胸が痛みました。



2015年から被災した常磐自動車道が再開されたので約5時間で現地に到着することが
出来るようになりました。
広野IC~常磐富岡IC~浪江IC~南相馬IC~から宮城県亘理郡山元町へ入ります。

改通当時5.5シーベルトあった(と、される)常磐道の放射線量は、この日のモリタリングポストは
3.6とあったのをバスの中から見えました。
浪江や常磐富岡、南相馬はまだ帰宅困難地域のままです。

常磐自動車道を走る車窓から。
元々は人家が建ち、畑や水田が広がっていたところと思われます。
行き場のない災害廃棄物が初めて通った2年前も置かれていましたが、光景としては
少なくなったように思えました。

20170313-2

太陽光発電のソーラーパネルが多く、見られるようになりました。

20170313-1

開発の重機が・・・どこもこういう風景が多かったです。

20170313-7



山元町に到着後の午後は、前日にトラックで搬入された10000株の花の苗をトラックから
降ろし「深山山麓少年の森(菱沼の郷)」の花壇へ植え付けました。

雨が降ったり小雪もちらついた年もありましたが、今年はまぁ、お天気に恵まれて
また、山元町の方達と一緒に作業しました。(全体で60~70人はいただろうか?)

20170313-3

一カ月後、花は大きくなってきれいに咲くことでしょう。
また来年、一緒に花を植えましょうと、手を振ってお別れしました。


花植えを終了後、バスに乗り毎年のように町の様子を見せて頂き、語りべさんの話も聞きました。
町の復興も進み、線路さえも残っていなかった常磐線も新しくなって出来上がっていました。
庁舎前の道路は山を切り通して、新しいアスファルトの道も出来ていました。

20170313-8 常磐線

ここは坂本小学校。
震災時一人の死者も出さなかったというシンボル的な学校です。
その日、150弱名の生徒と先生、近隣住民が一晩校舎の屋根裏部屋に避難して奇跡的に
助かったといわれる学校です。(10M-位の津波に襲われました。)
学校の周りは住宅地でしたが、多くの被害を受けて家は今も一軒もありません。

20170313-9sakamotosyougakkou

希望の黄色いハンカチと慰霊・千年塔が比較的早い時期に建てられました。
体育館は危険なので壊されていますが、学校の小さな花壇には、パンジーや春の花が
植えられていました。
それは、当時のこの小学校の先生が、「子供たちの命を助けてくれて、ありがとう。」という
感謝の気持ちを校舎に捧げる花を季節ごとに植えているそうです。
当時校庭は視界の限り遠くまで廃車になった車の置き場所でしたが、今回は復興整備の土が
山のように高く置かれていました。

海の方を見れば、高い防波壁が何年か前(3年前だったか?)に建てられて、いつもながら
本当にこれは悲しい風景です。

20170313-10 防壁・海・空

海の反対側は綺麗な山が見えます。
この山は震災前は家が建ち並んで見えなかったと聞いていますが、東北の地はこんなに
美しい自然と暮らしがあったのだと想像します。
今はやはり、復興の資材が置かれているようでした。

20170313-6


夜は「スパ・リゾート・ハワイアンズ」(震災後名前が変った。旧常磐ハワイアンセンター)に
宿泊しました。
日本初のテーマパークで、ここも震災で被害を受けましたが、会社の強い理念の下
再建されたことは映画にもなりましたね。
集客率は現在、震災前の90%まで戻ったとか。
半世紀前の宿泊棟もあってそこに宿泊でした。

翌日は、顧問のお話の研修を受けて、塩野岬灯台、小名浜魚市場・・・あれこれとお土産も
手に帰ってきました。
皆さんお世話になりました。
主催者のお陰様で、今年も花を植えてくることが出来ました。

6年という歳月が経っても、帰れない人が居ることや将来の見通しがつかない人も多いことを
災害という苦難を忘れずにまた、来年も元気で花を植えに行きましょう。
普段の生活では、被災地のものを買って支援していく事を頭の隅に置きながら。



2012年に市の法人会主催の第一回・花植えボラに参加した時の記事があります。
一年目はどういう状況だったか、少し分るかもしれませんので・・・・被災地に花を




 [ 2017/03/15 01:16 ]  ボランテア | TB(0) | コメント(8)

 5年目の 3.11

あの3.11が5年目を迎える今年、近くなると報道も多くなりTVを見ても新聞を読んでも
それぞれの心にそれぞれに悼むあの日の出来事があるのを知りるにつけ、再び目頭が熱くなる思いです。

毎年行っていた3.11東北へ花植えのボラには今年は日程が合わず(今年はわが家でイベントがあり)
行けない・・・と思っていましたが、地方紙に「陸前高田に図書館を」という記事を見つけました。

陸前高田市では図書館など公共施設の再建に向けた取り組みが始められているという。
これにわが市の支援の会が協力のイベントを展開して
市民に不要になった書籍の寄付を呼び掛けて、同会が書籍を集めて現地に送ることで
プロジェクトに参加する業者が寄付された書籍を買い取り、その金額が図書館再建の資金になるという。

私のところでも処分してもよい本があったので、これ幸いとまとめて送ることにした。

furuhonn011160310

震災から5年、被災地はどう復興してきたろうかと毎年その姿を見てきたが
まずは被災地の人々に元気になって頂くために、花を植えに行くことはいいことではあるけれど
ここ2年くらいは、現地の人たちが本当に必要としていることはなんだろうか・・・花の他にないのだろうか
それでいいのだろうかと、思いはじめてきた。

震災で今も辛い人たちがいることを忘れないようにとか、何か自分にも出来ることはないかとか
心にとめて、あれば行動に出来ることをとは、いわれることだが
今なおあの時の、取り返すことのできない大事なものを失ったものを引きずりながらの毎日の生活や
将来の生活を創造していかなければいけない被災地の人たちの状況を思うと
どうしたらいいのか、やり切れない気持ちでいっぱいになります。

でもそれでも、元気をだして前に進まなくちゃね。




晩御飯                  晩御飯
焼ハタハタ そぼろ肉豆腐煮 サラダ     ホタテシチュウ ホタルイカ辛子味噌和え サラダ 
20160318晩御飯 20160310晩御飯








 [ 2016/03/11 00:00 ]  ボランテア | TB(0) | コメント(5)

被災地に花を NO.4

宮城県・山元町へ花を植えに行くことも、4回目になりました。
震災の翌年、市の法人会被災地復興支援事業の呼びかけで被災地に花を植える
ボランティアに参加したのが始まりです。
考えてみれば、こういう機会に恵まれたので続けることができたことに感謝です。

今年は春のような暖かい日に恵まれたうえ(雨の日の年も、極寒の年もあった)、
2015年03月1日に常磐自動車道 常磐富岡IC~浪江IC間が開通したので、出発から5時間で目的地・山元町に
到着することができたので今年は、余裕を持って花植えができましたし
山元町の方々の幾分明るくなってきた表情を感じることが出来たのがよかったかと思いました。

山元町

では記録を・・・・

バス1台で出発しました。
3月1日に全線開通した、常磐道を走ります。
(昨年までは、この道は通れなかったので東北道で行ったので時間がかかり到着は午後3時近くから
作業に入りバタバタしての植え付けでした。)

この常磐道の最後に開通した区間は、今も帰宅困難地域となっている常磐富岡IC~浪江IC間です。
今まで何度もTVニュースで見ていた地域ではありましたが、目の前に広がる左右の風景にショックでした。

南相馬・鹿島まで、黒い袋が数えきれないくらい延々と見えます。
あるいは、青いビニールシートで覆われた原発廃棄物の置き場になっていました。

20150315東北ボラ1

20150315東北ボラ2

20150315東北ボラ3

この区間には、放射線量を測っている表示板も設置されています。
私たちが走った時は3,0マイクロシーベルトと表示されていました。
ここを出ると、低くなっていきましたが災害放射線量が一番多い時は、5.5あった時もあったとか。

住居はありましたが辺り一帯廃墟になっている雰囲気が見てとれます。
なんという風景のことか・・・・

20150315東北ボラ4

山元町到着は午前11時45分で、やや復興してきた住宅地にあるお食事処で
流石海辺の町の美味しい昼ご飯を頂きました。(昨年までは時間の都合上、バスの中でお弁当をかっ込んでいました)

20150315東北ボラ5

今年花を植える場所は、「深山山麓少年の森」という公共施設で、私たちの市でいえば「ひなた村」と呼ばれるような
ところでした。
被災地を応援しているAKBUSも利用されていました。

20150315東北ボラ12

昨年まで植えていた庁舎前は、復興が進み新しい駅ができることや道路ができて花壇が引っかかるので代わったそうです。

いつも温かい出迎えをしてくださいます。

20150315東北ボラ6

いつもお元気な生涯学習課のSさん。
津波で大きな家を流されてしまいまた、ご両親もなくされています。

20150315東北ボラ8

印象に残ったお話では、
1年目は、どうしてよいやら途方に暮れた
2年目は、月日の経つのもうとましい年だった・・・
3年目は、いったい自分たちはどちらを歩いていったらいいのかと思案に暮れた
4年目は、やっと自分らの方向を歩き始め、大きく変貌をはじめてきた・・・
ということでした。
こちらの皆さんが元気に歩かれているお姿を嬉しく思いました。

10000株の花の苗が、前の晩に市から搬送されてきています。

20150315東北ボラ7

さぁ、トラックから苗を下して植えつけ始まりです。

20150315東北ボラ10

20150315東北ボラ9

沢山の花がきれいに植えられました。

20150315東北ボラ11

植えつけ後、ご一緒に植えつけをした山元町のボラの方々と和やかな時間も持ち、いつものように
送られて、来年の再会を約束しました。

20150315東北ボラ12

皆さまどうぞお元気で、また来年もお互い元気でお会いしたいものです。

毎年見ている町もバスでめぐり見せて頂きました。
震災後廃校となりメモリアルとなった中浜小学校と復興を願う黄色いハンカチ。
この辺りは海には近いが駅もあって、住宅地であった。

20150315東北ボラ15

写真の遠方に見える白い塀は、震災後つくられた防潮堤。高さは7,8メートルある。

地震ではなく津波の被害で24人の死者が出た常磐山元自動車学校の慰霊碑と
復興が進んだ農業ビニールハウス。イチゴのハウスだろうか。

20150315東北ボラ16

そして、宿泊地の穴原温泉に向かいます。

二日目は江戸時代の町並みを今に残す宿場「大内宿」と、南会津の搭のへつりを観光して帰りました。
雪の磐梯もまたよし。
若いころはスキーに、10年くらい前には秋に訪れたことのあるところです。

大内宿
20150315東北ボラ13

搭のへつり
20150315東北ボラ14

「山元町のみならず被災地東北は、世界中の方々からの応援や支援を沢山いただきましたが
何もお返しすることができません。
私たちが自立した生活を取り戻していくことが、そのお返しだと思っています・・・・。」と
力強く語ったSさんの言葉に、私たちも強く励まされました。

そして帰還困難地域を見て思うことは、やはり「原発は持ってはいけない。」と思うこと。
どうか日本の国が原発に頼らずまた、原発で働いてきた人たちに代わる仕事に就けることへの
道筋を国も方向を見出していくことを願ってやみません。

被災地東北の皆さんの姿が、自然災害の多い国日本のこれからの教科書になります。
「どうぞ、お元気で。」と、願わずにいられません。



過去記事
被災地に花を1-1
1-2
被災地に花を2
被災地に花を3

 [ 2015/03/18 22:20 ]  ボランテア | TB(0) | コメント(9)

被災地に 花を  3

宮城県・山元町に、町田市法人会のお世話で震災後3度目の花植えに行ってきました。(観光バス1台で)

いつも到着が遅くなってしまう私たちを待って、暖かく迎えてくれます。

20140315山元町・花植え1

町田市には種から苗を作る作業所があります。
そこから前日に運んでおいたトラックから、13000株の花を6種おろして早速、植え付けの作業に入ります。

20140315山元町・花植え2

苗植えは、現地の花植えボランティアの方たちと毎年共同作業です。
昨年一緒に植えた方はお元気かな?今回は来ていらっしゃるでしょうか?
再会を喜ぶ方たちもいた様子でした。

20140315山元町・花植え3

植え終わった山元町舎前の2か所の花壇です。

20140315山元町・花植え4 

花壇後方には、富山県が植えたチュリップの球根が芽を出してきていました。

20140315山元町・花植え5

植えた苗はまだまだ小さいのですが、5月の頃にはきっと賑やかに咲いてくれることでしょう。

昨年は自分達が植えた花がその後、どうなったかを知りたいと思っていましたところ
5月にはこんな風に咲いていったことを、山元町の『りんごラジオ』というローカル放送で知ることも出来ました。
昨年の『りんごラジオ』放送のブログの写真です。
ことしのも、こんな風に咲いていってくれるでしょうか。

りんごラジオ ←クリックで

そしてここが、町舎の敷地内にあった『りんごラジオ』のスタジオです。
今回初めて見つけました。

20140315山元町・花植え7

終了後、ちょっとしたお疲れさん会で親睦をはかり私達は今の山元町をバスの車窓から、少し見せていただきました。
初めてここを訪れた時と、あまり大きな変化はなく、復興が遅れていることが手に取るようでした。

山元町はイチゴの栽培で有名な所ですが、ハウスの再建は震災直後から割に早い段階から始まり
今は震災前の8割まで復旧できたそうです。

20140315山元町・花植え8

常磐線も被災した後、まだ何も変わっていません。

20140315山元町・花植え9

遠くの方の海岸線には、防波堤が作られているようでした。(写真では、木の後方の白い塀のようなもの)

20140315山元町・花植え10

廃校になってしまった中浜小学校が見えてきました。

20140315山元町・花植え11

小学校の周りには250棟の民家があったそうですが、今は家・・・一軒もありません。
近くにあった墓地は(墓石が倒れまくっていたのですが)、ひとつの慰霊塔になって建てられていました。(千年塔)

1回目に訪れた時衝撃を受けた小学校ですが、校庭の地平線の向こうまで並んだ被害にあった車は片づけられていました。
倒れたコンクリの時計柱はそのままでした。

20140315山元町・花植え12

悪夢のような情景だった体育館は危険なので、取り壊されていました。

初めてここを訪れた時の写真を見ると、片づけられてはいるものの、再建はまだ本当に始まったばかりということが
伺えます。
3年の月日がたった今、日本の景気がほんの少しだが上向きになったとかということにも
被災地は温度差を感じるものがあり、また被災地においても、被災した人としなかった人との温度差があると
話していた方の言葉がいつまでも心に残りました。


被災地に花を1-2 ←クリックで

一時も早く普通の暮らしが出来るようになることを、祈らずにはいられません。


この日は穴原温泉一泊して、旧堀切邸~二本松・智恵子生家と記念館~安達が原ふるさと村を見学して
帰途につきました。





山元町の皆さん、どうぞお元気で。

来年またお互いに元気で、お会いできることを・・・。



 [ 2014/03/17 00:22 ]  ボランテア | TB(0) | コメント(10)

そろそろ始まり・・しゃんとしなくっちゃね・・・

雨ひとつ降らないカラカラ天気が続いたところでしたが、爆弾を落としたような夜中の大雨でした。
何事も無くすみましたが、市内ではがけ崩れも出た豪雨でした。
大暴れの今年の夏、皆様のところは大丈夫でしょうか。

8月中、縫物ボラは休んでいましたが、もう9月に入りましたので 生活もそろそろ
立て直して動いていかなければなりません。
早々に、バザーの準備です。

バザーの支度

今日は不用品を運びます。(2回目)

花ボラの方は、8月中も忙しかったですね。
週一で朝6時に家を出て花壇に水を上げに行ったり、会合もあったりで。
花は大きく咲いてきたものもあれば(花写真はありませんが)、病気になったものや、なぜか育たなかったものも
あります。
本気で花を咲かせるには何が必要なのかを、各花壇の条件から学ぶにはよい経験ではありますが
正直、花壇の水やりは近くでは無いので大変は大変です。

先月ボランティア募集の掛け看板を街でご覧になってくださった男女2名が、新しく仲間に加わってくださったそうです。
嬉しいです。今後も参加者が増えますように。

ボランィア募集看板を作る  ←クリックで過去記事

何もしなかったら何事もなく、動いて初めて何かが生まれる・・・・これもいい経験かとは思っているのですが・・・



9月2日お昼ごはんと晩御飯
冷やし中華                          夏おでん だけ
20130902昼ごはん 20130902晩御飯


おでんは残ると悪くなりそうなので、おでんとビールだけのご飯にしました。
暑いのにと驚かれそうですが、大根だとか、はんぺんだとか、昆布だとか・・・そんなものを多く入れて煮ています。
出てきたサトイモも。。。

9月3日晩御飯                    9月4日晩御飯
シュウマイ 茄子揚げおろし和え ヨーグルト               ピーマン肉詰め 豆腐サラダ コンニャク酢味噌
20130903banngohann  20130904晩御飯
 [ 2013/09/06 00:00 ]  ボランテア | TB(0) | コメント(8)

嬉しい! 

3月に宮城県山元町に花植えボラに行った時に、今度は自分の街の市内中心部街路に
花を植えるボランティアにと誘いのお声がかかり、活動が始まっています。

あの・・・私たちが3月に行った山元町・庁舎前に植えた花はどうなっているだろうか?
ちゃんと咲いているだろうか?

と、ずっと思っていましたが仲間がネットで探し当てて、山元町のFMラジオ番組のブログ『りんごラジオ』に
「写真が載っているよ~!!」と教えて下さり、こんなにきれいに咲いている!ということが分かって
とっても嬉しい!!

りんごラジオ ←クリックでどうぞ。

こんなに綺麗に咲いたんだね!
雑に植えてきたような気がして心配してたんだ、私。
嬉しいな~ 


今日読んでいる図書館のぼろい本 (ぼろいということは、古くって沢山の人が読んだということだわね)

20130522本

インパクトが強い内容で、パカパカと読み進んでいます。

追記 まだ読み途中ですが・・・
ターミナルケアーのパイオニアであるエリザベス・キューブラー・ロスの自伝書です。
時代の背景もあるでしょうが、ドラマチックで波乱に満ちていて、昔から元気な強い女性が大好きな
私には引きつけられる本。
人生はどういうことなのか、人生に大事なことは何かが自伝のそこここに散りばめられています。
ターミナルケアを人生の終末期と考えることは、今をどう生きて行くかを考えることです。
人生では二つの仕事があると言っています。
ひとつは、愛を与えること。もうひとつは愛を受け入れること。
(ロスにはこの二つ目の仕事が自分の終末期に残っていたといっています。)

本は出会いです。人生も出会いかも・・・・


庭に咲いているクローバー ティント・ルージュの花(普通のクローバーとなんら変わらない花です)咲いていました。
   クローバの花
季節が進み、春に萌えて咲き出した頃の赤いルージュの色は色あせて・・・・
すべての生きものの一生も、廻る輪のように・・・廻る。



晩御飯
パプリカ肉詰めトマト味 乾ゼンマイ煮 蛸ご飯 スープ ラッキョウ漬け
20130521banngohann

今度は、蛸おこわご飯を炊いてみよう
 [ 2013/05/23 00:00 ]  ボランテア | TB(0) | コメント(5)

再び被災地東北へ、花植えのボランテァ

昨年立てた看板が健在でした。

301303花植えボランテァ1 

昨年に引き続き、宮城県亘理郡山元町に今年も花植えのボランティアに行ってきました。
町田市法人会が一年間集めた義援金で花の苗を山元町へ届けることが目的です。

町の花植えのボランティアの方々と一緒に、山元町庁舎前の花壇に色とりどりのパンジー、忘れな草
金魚草、アリッサム、ノースポールなどを植えました。

4tトラックで町田市から運ばれた約10000株の苗を植えて行きます。
到着が遅くなったので着いたらすぐに作業に入ります。

花植えボラ・東北7

山元町の花植えのボランテァグループの方たちと、交流もしながら・・・

花植えボラ・東北2

花植えボラ・東北1

あっという間に植え付けられていきます。

花植えボラ・東北3

私たち一行は関係者を含めて、バス1台分の人数です。

花植えボラ・東北5

だんだん出来上がってきたかな~

花植えボラ・東北6

花植えボラ・東北4

行きの交通渋滞で、始めたのは午後3時ころになってしまいましたが、何とか植え込み出来たでしょうか。

こちらはお昼のお弁当を調達したお弁当屋さん。昨年もお店が出来たての時伺いましたね。
復興後早くに出来た美味しいお弁当屋さんです。復興作業をする人たちにとってはただ一軒のお弁当屋さん。

2013山元町のお弁当屋さん・

町の風景と言えば、がれきの山は1か所だけバスの車窓から見ました(見た場所がほんの狭い地域のみでしたが)
こちらの産物のいちごのビニールハウスは、数が増えていて嬉しかったです。

山元町・イチゴ 美味しいイチゴでした

ですが、まだまだ新しい家は建っていません。
大きな重機がやっと動き出したのではないかという感じでした。
新しいお墓がひと集まりして建っているところを何箇所か、バスの窓から見ました。

2013山元町

一緒に花植えした地元の方が、「町庁舎の近くに震災復興住宅の一号舎が50戸建てられてその内の
20戸はもうすぐ入居になるのですよ。」と、嬉しそうに話されていたことが印象的でした。

到着が遅くなったので、ちょっとしたセレモニーも花植え終了後に行われました。
「お元気でいてくださいね。また来ます。お身体お大事に。」と言って地元の方々とお別れしました。


夜は会津磐梯・飯坂温泉で一泊し、翌日は観光で、鶴ケ城天守閣まで登り美しい山並みの展望を眺めました。

吾妻山連峰と磐梯山(車中から撮る)

吾妻山連峰と磐梯山

お昼を取った磐梯  では郷土料理も入ったお昼ご飯を頂き、白虎隊を物語るおどりも見せていただきました。
ここ会津磐梯は原発から100キロ離れたところだそうですが、3.11後は車も入ってこれなかったのもありますが
3か月間は人ひとり訪れる人も無くお店の従業員も離れざるを得ない人もいて・・・翌年やっと
以前の4割くらいの人が訪れるようになり、
今は7割くらいの観光客に戻ったと踊りを見せてくださった若い従業員の方が語っていました。

被災地東北の方がたは広範囲で、被害を被ったことが伺えます。

また来年、お互い元気でまたお会いしたいと思いました。


☆昨年第1回花植えボラの記事です。
被災地に花を1
被災地に花を2

 [ 2013/03/20 00:00 ]  ボランテア | TB(0) | コメント(7)
旬の花時計
プロフィール

はなこ

Author:はなこ
“はなこの暮らし工房”にようこそ!
東京都在住
庭で咲いた花、手作りしたもの、毎日の生活のひとコマを綴ります。
自分の為の備忘録。

月別アーカイブ
FC2カウンター
ブログ内検索