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はなこの暮らし工房

ガーデニング、絵手紙、絵遊び、昔は料理が趣味だった主婦の日常生活

「円山応挙から 近代京都画壇へ」展 を 見に行く

20190913美術館1 パンフ

20190913美術館2

9月初中旬の頃、東京芸術大学大学美術館で開催中の「円山応挙から 近代京都画壇へ」展 を
見に行きました。

「円山応挙から 近代京都画壇へ」展 ←クリックで。

もしかすると、日本画の出発点は応挙の頃だったかもしれない・・・。
写生画という観念がこのころからこぞって迎え入れられたようです。

大乗寺襖絵も気品の溢れたものであったが、動物や植物の身の回りにあるもののスケッチ帳が
巻物で展示されていたが、わたしにはそれが大層気に入った。

それは応挙が、「目の前にある対象物をよくよく見て、写生をしなさい。」という教え、
「そうすれば、後のことは自ずからついて来るもの。」とし、それは応挙の数々の写生で
丁寧に描かれたお手本帳ともいえるものでした。

その写生された個々のモチーフは、
身近にある沢山の花や動物で、今、絵を勉強する人たちにとっても大いに参考になり
その教えの志には、励まされるものがありました。

何でも、どの道でも、尽きるところは、こつこつと丁寧に一生懸命にやっていくということのほか無いように
思ったものです。
これを分かったら、この展覧会を見に行った価値は大きいと思って、いい気分で帰ってきました。


↓ここは東京芸術大学の何門なのでしょうか?
初めて訪れた美術館を探しながら上野公園の一番奥で、このポスターを
見つけて、思わず写メしました。

東京藝術大学大学美術館1

展覧会を見終わってから、一般の人も芸大の食堂を使うことが出来るというので、私たちも
もしかすると将来の名高い画家もここでランチをするかもしれないと、ちょっぴりミーハーなワクワクを感じながら
お昼の休憩をして帰ってきました。


先月29日で東京での展覧会は終わり、京都美術館でまた開催されるようです。
日本画はいいですね。
何処に行ってもシニアが多く、展覧会も混んでいました。


 [ 2019/10/01 00:00 ]  美術館 | TB(0) | CM(-)

展覧会をはしごして・・・

大きな行事を終えた後、暫く行っていない「美術館に行こう!」と、いう気持ちになりましたので
出かけました。

NHK首都圏ニュースで、「東京2020オリンピア-ト傅益瑶日本の祭り絵展」が開催されているというので
見に行ってみました。

201908日本の祭り展パンフ1

展示絵は約100点あったのですが、日本人なら聞き覚えのある日本の祭りばかりでしたので
親しみを覚えました。
中国生まれの女性画家、傅益瑶(フ・イーヤオ)さんはNHKの放送で時々見ますので
知っていました。

お父上様は中国では有名な画家だそうで、傅益瑶(フ・イーヤオ)さんは以前の日曜美術館でも水墨画で
紹介されたこともありました。

201908日本の祭り展パンフ2

左は博多祇園山笠

201908日本の祭り絵展1

これは徳島・阿波踊りかな。
どの絵も躍動感がすごいですね。

201908日本の祭り絵展2

絵の中の踊っている人の顔が面白い。
でもどの人も、目が中国の京劇を思わせるつりあがった目。

201908日本の祭り絵展3

画面が何となくモノトーンぽく感じると思っていたら、背景の下地を墨で描いてから日本画の絵の具で
絵を描くそうだ。
日本人が描く絵とは、ちょっと違った感じでしたね。

201908日本の祭り絵展4

一つの絵に1300人もの人を描いた絵もありました。すごいね。
御柱祭りの絵などは、勢いと舞い上がる粉塵も感じられるようでした。





さて見終わってから、池袋まで来たのだから、体力はもう少し大丈夫と思ったので
ランチをしてからJRで上野へ。
開催中の「松方コレクション展」を観に行きました。

20190815松方コレクション展チケット

この日は曇りがちの日だったとは言え、入場は30分待ちでキツカッタ~。
一年中混雑の上野公園ですが、夏休みとあって、子供、学生も多くて・・・・ここへ来て9月になってから
来ればよかったかも・・・と思いました。

上野国立美術館201908

クリックで⇒ 松方コレクション展

パンフレットをもらってこなかったので、ネット検索したらこんな記事も見つかりましたので参考に。

クリックで⇒ 松方コレクション展・見どころ・・・

展覧会は写真は禁止で随一、傷んだモネの絵を修復したこの一枚のみが、撮影OKでした。
国立西洋美術館に寄贈されたモネ《睡蓮、柳の反映》が現存部分の修復を経て、初めて公開されて
いました。

モネの絵・・修復

展示してある絵は、今までにも何回も見たことのある絵でしたが、これらの絵が60年以上前に
神戸の造船会社社長であった松方幸次郎によって膨大の数の絵が収集され、
時代の大きな運命に流されながら、買主のもとへ帰ってきたという歴史を知りました。
そしてフランスから日本に返すにあたり、ちゃんとした美術館が無ければ帰ってこなかったということ。
それが一つの条件だったという。
そしてコレクションの一部(375点)は戦後、日本へ「松方コレクション」として返還されました。
これを保管展示するための美術館として1959年に国立西洋美術館が設立されたということなのですね。

それにしても一万点を超す収集した絵があったとは驚き。
すごい財力!

ゴッホ《アルルの寝室》はやはり何時見ても、傑作!と思いました(ゴッホ好きなので)。
短い画家生命の中でも一番生産的な時代に描かれた私のお気に入りのゴッホの絵の一枚です。
アルルで、ここで絵描きとして出発するんだという希望がこの絵に出ていると私は感じます・・・・。

常設展も見たかったのですが疲れて来ましたので、もぅ、帰ることにしました。






晩御飯写真が溜ってしまいました。
8月16日晩御飯
20190816晩御飯

8月17日晩御飯
20190817晩御飯



 [ 2019/08/18 00:11 ]  美術館 | TB(0) | CM(-)

「ウィリアム・モリスと英国の壁紙展」を観る

この記録は平成のときの日の記録です。4月24日のことだっただろうか。

201904ウイリアムモリス展1 201904ウイリアムモリス展3
チケットとパンフ。

昔からウィリアム.モリスが好きで、今回も展覧会があるというので楽しみにしていましたので
出かけてみました。
多分モリスの展覧会を見るのは3回目です。

ウイリアムモリス展4

19世紀前は、こんな美しい壁紙は市民の家には手の届かぬものでしたが
19世紀後半になり、産業革命後、中産階級の生活にも段々と潤いを見せるようになりました。
が、大部分は大邸宅用の壁紙で、タイルなどもこのころから多く作られるようになったようです。

201904ウイリアムモリス展2

モリスは、自宅の庭に咲くひなげし、なでしこ、バラ、キク、アカンサス、ブラックベリー、などを
幾何学模様にしたり、柳の枝さえも美しい壁紙の柄に作り上げました。

「部屋に何を置くにしても、まず、壁紙をどうするか考えよ。
壁こそが本当の住まいにするからだ。」と、言いました。
そこのところはとても西洋的なのですが、19世紀の西欧にインパクトを与えた”ジャポニズム”の
影響も大きくあったようです。

「家の中は、美しくなくてはならない。
役に立つかわからないもの、あるいは、美しいと思えないものを家の中に置いてはならない。」という
モリスの信条は私もよく、折に触れ思い出すのですが、
中々そういうわけにはいかない、この言葉には耳が痛い私の生活です。
要らないものであふれかえている・・・・・・

今回惹かれたものは、アカンサスの連続パターンと、モリスの二女、メイ・モリスの
ハニーサックルの図案の壁紙でした。

シンプルだけど複雑な壁紙模様に、美しさと潤い安らぎなど、感じてきました。



余談
昔、友人が横浜山手に住んでいて、横浜の山手西洋館の家を巡ったことがありました。
もう、20年くらい前だったかもしれませんが、そこで見た外交官の家の子供部屋の壁紙が
濃い緑色系であったことを覚えています。
日本人の家の壁と言えば、障子であったり、枯れた絵柄の襖というのが定番で
とてもこういう色はまねができないと思ったことを思い出しました。

その横浜、山手西洋館の家々は20世紀初頭に建てられているようですが
モリスの時代の文化様式の延長上に建てられているかもしれませんね。





 [ 2019/05/13 00:00 ]  美術館 | TB(0) | CM(-)

「小原古邨 展」 へ行く

20190315小原古そん展パンフ

小原古邨 の展覧会へ出かけてきました。

こちらが明治神宮前(原宿)にある浮世絵が専門の太田美術館です。

20190313太田美術館

クリックで⇒ 太田美術館


聞くところによる話の通り、過去の有名な絵師に横並びをするような作品の数々が展示されていました。
多くは、版画でしたが、この方の作品の特徴は描いたようなぼかしが美しくて、描いた対象物を引き立てていました。
版画の出来上がる工程は、版元、絵師、彫師、摺師と分業で出来上がるわけですが、
一つの作品を完成させるのに、特にこの連係プレーを想像しました。

小原古邨という絵師の作品は近年になって作品の原板がとあるところから見つかって
最近の展覧会になったようです。(東京では初の展覧会)
明治~昭和にかけて活躍した花鳥画の絵師ということですが、今まであまり知られていなかったそうで
そんなところにも興味を持ちました。
私ももちろん全然知りませんでした。

可愛らしい動物たちの姿や、植物画もとても美しく、作品の完成度がすごいなと思いましたね。

私は「紫陽花と蜂」や「向日葵と蝶」の絵を見たかったのですが、それは前期で展示されてはいたのですが
入れ替えになっていて見ることはできず残念でした。

生きた時代の流れに左右されながら、今までの画風のしきたりや技術から発展して
新日本画的な少し自由で、おおらかな美しさが読み取れてなかなか魅力的だと思いました。

いつもは、本を増やさないという主義で、作品図録本を買うことは殆どないのですが
この日は、つい、もう一度ゆっくり楽しみたい思いで買ってしまいました。

この日、混んでいました。
この前日は、最後の学芸員の解説が2度行われましたのでもっと混雑した様子で、入場制限の張り紙が
そのままになっていましたね。

太田美術館は小さな美術館ですが原宿の駅から近く、私のところから短時間で出かけることのできる
美術館です。

次回は「没後170年記念 北斎 富士への道」展が予定されています。



 [ 2019/03/19 00:00 ]  美術館 | TB(0) | CM(-)

「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」展 へ

2019020東京都美術館1

もう、一週間も経ってしまいましたが、東京都美術館で始まった「奇想の系譜展」を見てきました。
TVのあれこれで放送されると、混雑しそうな気がしたのと、
2016年に開催された伊藤若冲展が連日の混雑(45万人も見たという)で、社会現象までなってしまい
見逃しせざるを得ず残念な思いをしたので、また今回はその若冲の初公開になる絵も
あるというので、早めに見てきました。

行列はしていませんでしたが、混雑していました。
特に男の人にこの展覧会の絵は人気があるのか、比較的高齢の男性が多かったですね。

2019020東京都美術館2

美術史家、辻惟雄さんが1970年に著した著書『奇想の系譜』が、50年近くたった今も読まれていることに
美術史家の山下裕二さんが監修して展覧会が開かれたようです。

当時の美術史ではあまり評価されていなかった岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪、
歌川国芳をとりあげ、「奇想の画家たち」として再評価をうながしたようでした。

18世紀の江戸時代、ほぼ同じ時期に活躍した豊かな想像力の絵師たちの命溢れる作品の
数々の展覧会でした。

私が見たかった伊藤若冲の襖絵も、色鮮やかで、自由で、躍動的。
古い中国の絵を模写したという、見たこともない象や鯨を描いた水墨画の屏風や
大作で精密ないのち溢れる、鮮や孔雀の絵図。
まだ若し頃の雄、雌の鶏絵図などじっくりと見せて頂きました。

近年の「江戸絵画ブーム」と言われる所以でしょうか、私たちが美術館を出るときも
ぞろぞろと入っていく人たちの波にちょっと驚きながら。

日本画は、同じルーツのせいかすんなりと感性が伝わってくるような気がしました。


次は何度見ても飽きない、北斎展を見たいと思っています。



 [ 2019/03/02 00:00 ]  美術館 | TB(0) | CM(-)

「いわさきちひろ 絵描きです。」展を見に行く

20180817いわさきちひろ展120180817いわさきちひろ展2 パンフ

東京駅にある美術館「東京ステーションギャラリー」で開催中の「生誕100年 いわさきちひろ 絵描きです」展を
見てきました。(いわさきちひろ 1918~1974)

何か懐かしい絵本を見るようでもあり、ちひろがたどり着いた絵の描き方の「にじみとたらしこみ」
私は今回見たかったのですが、それはあまりスポットが当たっていない展覧会だったので
この点から云えば、
これは石神井にある「いわさきちひろ美術館」の方へ見に行けばよかったのかもしれなかったかも
知れなかったですね。

この可愛らしい、優しい、柔らかな作風にたどり着くまで、ちひろも20年、かかったというのですから
ちひろといえば、子供の絵と連想するばかりですが、それ以前の時代の絵を見ることができました。

人はみな生きた時代なしでは語れないものがありますね。
ちひろさんの娘時代はずっと戦争の時代だったそうです。でも絵が好きで(14歳で画塾に通うようになり
絵描き家になると決心し、生きたその時代と生き方を見ました。

今知るいわさきちひろの絵の前身の絵で、素敵な油絵がありました。
「なでしことあざみ」「マスクをする少女」ほか4点。

ちひろの絵に描かれる子供は、ちょっとした子供のしぐさを捉えて、その子が持つその時の感情を
よく表していると思います。
絵本の挿絵としての効果がとてもよく絵に生かされて描かれていましたね。
恥じらいとか、ちょっとした寂しさ、小さな楽しみ、嬉しさの子供の小さな感情が絵ににじみ出るようです。
よく子供を観察したのでしょうね。
こどもの幸せと平和を願って子供の絵を多く描いたそうです。

黒柳徹子のベストセラー「窓ぎわのトットちゃん」の本の挿絵で世界へ羽ばたいていきましたね。
トットちゃんの本は世界30カ国を超えて出版されていますから。
黒柳徹子さんは今、安曇野と石神井のふたつの「いわさきちひろの美術館」の館長をしています。
この出会いは、千尋の死後のことだったそうですが、たった55歳でこの世を去ったちひろさんだったのです。

ステーションギャラリーは、初めて訪れた美術館です。
東京駅の中にあるというか隣接するというか、珍しい美術館ですね。

20180817いわさきちひろ展3 4センチ四方くらいの小さなチケット


駅舎の一角にある美術館で、地味で入口を見落としてしまいそう・・・・

20180817いわさきちひろ展4
ギャラリーの入口と、左写真、下・・・館内の階段の作り と 駅北口の美術館前の天井・・この周りの部屋が
美術館の中だったのかな?

重要文化財にも指定されている東京駅舎の歴史を感じさせる煉瓦壁と現代的な白壁の展示室が特徴的。
館内に入ると駅の喧騒がまったく感じられなくて、不思議な感覚?でしたね。

行き帰りの中央線からは、新しくなる新国立競技場の工事で何基ものクレーンが2020年のオリンピックに向けて
急ピッチで進められている様子が車窓から見えました。







 [ 2018/08/27 00:00 ]  美術館 | TB(0) | コメント(0)

「藤田嗣治展」を見に行きました。

20180809藤田展1 20180809藤田展2

没後50年になる、「藤田嗣治展」が東京都美術館で開催しましたので、8月初旬に見に行ってきました。
藤田の絵は、ポーラ美術館や都内での展覧会で何点かは見ることがありましたが、今回は
約100年前パリを拠点に海外で成功を収めた日本人として先駆けになった、没後50年の回顧展です。
(1886~1968)

追記・・・・下の本から抜粋し引用(今まで展覧会で何点しか、藤田の絵を見なかったという理由)
パリで確立した独創的な「乳白色の下地」による絵画スタイルと獲得した多くの名声にも関わらず
没後長らく展覧会や出版物の数が限られたこともあって
母国日本ですら忘却、もしくは神話化が進み、一時若い世代には遠い存在になりかけていました。
また戦争画への関与や通俗的な人物、作風という先入観もあってか、専門家の間でも本格的な研究対象と
することを忌避する雰囲気が漂っていました。・・・・・・・・・・・・・と書いてある箇所がありました。


藤田嗣治、5歳ごろから絵を描きはじめ、15歳の頃には「立派な絵描きになりますから!」と
医者にしたかった当時軍医だった父に手紙を書いたそうです。
本当に立派な画家になりましたね。ひとつに、絵を売って食べて行けたのですから。

東京美術学校卒業後、憧れのフランス・パリに渡仏(1913年26歳)し、当時のフランス絵画界で
上流階級からの東洋から来た若い画家にと、肖像画の依頼も多かったそうです。
あの画家ゴッホが、生前売れた絵がたったの一枚というエピソードが頭にちらつきました。
当時のフランスでは、経済的な面でも成功を収めた数少ない画家であったという訳です。

主に人物画で知られるが風景画や静物画も多く手掛け、晩年には洗礼を受けて、敬愛するレオナルド・ダビンチから
名前を頂いて、レオナール・藤田と名乗り宗教画も多く描いたそうです。
最後にフランスに戻った時の「礼拝」という絵は、洗礼を受ける藤田夫妻を絵描いた絵ですが、
画家としての集大成の絵で、この絵はフランスの藤田の自宅に生涯掛けられた絵であったそうです。
(今は、パリ市立近代美術館蔵。)

渡仏すぐは風景画や静物画を多く描いたようですが、当時のパリ美術界の流行も受け絵は
乳白色の下地と呼ばれる独自の描き方で、裸婦を描き評判を得たよう。。
少女画や肖像画の絵の雰囲気が独特でわたしは好きです。乳白色の下地のせいでしょうか。
動物に服を着せて擬人化し描いたものも藤田の絵として思い浮かびます。

金伯を使ったような豪華な印象の「目隠し遊び」と題された絵の前では、あまりの素敵に見入りました。


絵葉書①・・・パリ風景・・・渡仏して間もない頃の絵 

20180809藤田展3

絵葉書
②渡仏して若い頃の、「私の部屋、目ざまし時計のある風景」
③最後に日本を出てフランスへ向かう前、ニューヨークへ滞在した時に描いた「カフェ}
④「二人の少女」
⑤「花を持つ少女」

20180809藤田展4

2度の大戦を経験しながら、スペイン、アメリカなどを巡り日本に帰国を余儀なくされると
戦意の高揚を図るための作戦記録画を多く描き、軍部に協力したと云われ、日本を去ることに(1949年)。
それからは二度と日本には帰ることはなく、フランスに帰化した。
晩年にはフランス国籍を取得してレオナール・フジタとなり、欧州の地(1968)に眠っています。

今回の展覧会では絵だけではなく、藤田が暮らしの中で楽しみ、手作りした生活品のいくつかが
展示されていて、絵描き以外の姿をを見ることができ、新しい発見でした。
裁縫、大工仕事、ドールハウス、写真、陶芸なと、プライベートな品々・・・
絵の額縁なども手作りしたそうです。

私は、妻に送ったという装飾木箱(数々あったようだが、展示は2~3のみ)に魅せられました。
丁寧に油彩で絵付けが施されて、小さな職人たちの絵を思い起こされ、そのものが、藤田ワールドでした。。

「藤田嗣治 手仕事の家」の本によると、食べた物を記録したノートなども残っており、
芸術家らしい丁寧な暮らしていたのだろういうことが察しられます。
こういう手作りのものも多数、普段の夫妻の生活を飾ったようです。

20180817藤田展

    ↑↓ 本「藤田嗣治 手仕事の家」より

20180817藤田展2


時代はアール・ヌーボーの時代の影響もあったでしょうか。

買うものは所詮、製品であり、芸術家たるもの、頭から足の先まで芸術をまとわねばならないという
芸術家気質もあったようだが。



最後の仕事になったのはノートルダム礼拝堂の内部の壁画でした。

これからさらに藤田嗣治の研究が進むと、私は美術界に置いて藤田画伯はもっと確固した存在に
位置するのではないかと想像するくらいでした。

藤田嗣治の画家としての作品と生涯を見ることができました。
おかっぱ頭にちょび髭、丸眼鏡にピアスの藤田画伯の展覧会・・・・・楽しみました。





 [ 2018/08/19 00:00 ]  美術館 | TB(0) | コメント(3)
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プロフィール

はなこ

Author:はなこ
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東京都在住
庭で咲いた花、手作りしたもの、毎日の生活のひとコマを綴ります。
自分の為の備忘録。

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