はなこの暮らし工房

ガーデニング、絵手紙、絵遊び、昔は料理が趣味だった主婦の日常生活

京都・奈良・和歌山の旅 2

前の晩は遅くなっての到着でしたので、周りの様子が分かりませんでしたが、ここが宿坊「宝善院」の門。
12年前に「もう一度、来てみたい高野山」の希望がかなった旅だったのです。

宿坊・宝善院の御門

宿坊

宿坊・宝善院

御庭の池
宿坊・宝善院・庭

信心こころがあまりないのですが、旅の経験と思って“朝の御勤め”にも初めて出て見ました。

朝ごはんは、写真は撮り忘れたのですがやはり精進料理でした。
確か、『ご飯、わかめの味噌汁、セリの胡麻和え、海苔、漬け物、おふのつくだ煮 』ではなかったかな?

和歌山県でもこの辺りが一番高いといわれる護摩壇山・・・

タワーに登って

護摩壇山

上ってみるとぐるりと見渡せる、美しい山々・・・
神々の懐のような気さえもしてきます。

護摩壇山 からの風景1

この辺り護摩高野龍神スカイライン道の紅葉は、所々でまだ少し早かったです。

そして高野山奥の院へ

高野山・奥の院1

高野山は、およそ1200年前に、弘法大師によって開かれた、真言密教の修行道場であり、
全国に広がる高野山真言宗の総本山です。
川崎大師も成田山もここが総本山だそうです。

そういえば私の家の近くの薬師堂も、高野山が御本家で、いつだったか写経をしたものも
高野山のどこか・・・に収められましたね。

この辺りの紅葉が最高でした。

うっそうと杉の樹の茂る奥の院には、太閤秀吉から太平洋戦争の英霊まで、さまざまな人々のお墓が立ち並
んでいます。
歴史上の大将のお墓の数々がここにあるといってもいいかもしれません。(およそ22万基あるとか)

高野山・奥の院2

ここは、太平洋戦争の亡くなった人たちを祭った慰霊塔があります。

高野山・奥の院3

その手前に、東日本大震災の供養塔が建てられるようでした。

高野山・奥の院4

関東のお墓とうんと違う感じがするのは、高野山のお墓には(もしかして関西のお墓もかな?)お墓の
御塔婆というものが見当たりません。

関東のお墓の多くは骨壷にお骨を入れて墓下の棚に置きますが、関西の多くはお墓の土にお骨を
収める(まく)そうですね。
そして人は、万物の母である土へ帰って行くのだそうです・・・・

お墓の写真を撮るのも・・・・と思い、見学で終わることにしました。

四国八十八カ所の霊場を巡ったお遍路さんたちが、最後に参詣に訪れるのも高野山です。
2005年でしたか、世界遺産にもなりました。

そこに立つだけでも、1000年の空気を感じるような高野山、奥の院でした。


そして今回の最後の訪問地・長谷寺へ(正式には『豊山神楽院長谷寺』)

仁王門

長谷寺1

長谷の廊下とも呼ばれる登廊(399段の石段)

長谷寺2

運よく、普段は一般には非公開となっている国宝の長谷寺本堂内に入り、木造仏としては日本最大級の
本尊大観音尊像が公開になっていました。
今回は曼荼羅(マンダラ)の展示もあり、直接触れることも出来ました。(60年に一度のことだとか・・・)
いく体もの観音様の壁画がとてもきれいでした。
見上げるような大きな観音様(10,18m 木像)も撮影禁止です。

長谷寺4

長谷寺は花のお寺として、春は桜やボタンが、初夏にはアジサイ秋には飛鳥時代から続く紅葉の紅葉と
一年中華麗な風景が広がるようです。

本堂の舞台からの風景

長谷寺3

出来ればゆっくりと散策したいところでしたね。

長谷寺5

歴史ある風景に囲まれてこの旅の時間は、1000年以上の時が続いて今に至って
また、何千年も続く時の途中であることを再認識した旅でした。

小さい小さい自分と、私たちが生きているのはほんの一時の刹那かな。
それをもがき、笑い、嘆いて私たちは暮らしていますね・・・

この後名古屋駅から新幹線に乗り、帰途に。


アケビをやっつけ料理して旅に出たところでしたが
帰ってからひどい喉風邪にやっつけられてしまいました。
(やっつけるなんて言って、罰があたったのかもね。)

今回もコメント欄を閉じています。
拍手コメントを頂きありがとうございます。
 [ 2012/11/09 21:23 ]  旅・お出かけ | TB(0) | CM(-)
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東京都在住
庭で咲いた花、手作りしたもの、毎日の生活のひとコマを綴ります。
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